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第68回 京阪杯のデータ [競馬データ]

このレースも今年は、4年振りに京都競馬場に戻っての施行となります。
よって、再び19年までの京都競馬場施行でのデータを挙げていこうと思います。
1800m芝から1200m芝に変更になった06年以降19年までの13年間と、1200m芝のオープン特別「アンドロメダS」の00年から05年までの6年間とを合わせた計20年間、連対馬40頭、3着馬21頭(16年の同着を含む)から見ていきます。


まず毛色ですが、アンドロメダSではまれに見る栗毛が強いレースとなっていました。
その6年間、連対馬12頭中8頭が栗毛馬でした。
ワンツーも6年中半分の3年ありました。
そして、京阪杯が1200m芝になった06年も、栗毛馬同士のワンツーとなりました。
それどころか1着から4着まで栗毛馬が占めていました。
こうなりますと、その後もこの傾向が続くと思いましたので、この「栗毛馬強し」のデータを毎年いつも筆頭に書いてきました。
ところがその後、
07年は 「鹿毛-黒鹿毛」
08年は 「鹿毛-青鹿毛」
09年は 「鹿毛-青鹿毛」
10年は 「青鹿毛-鹿毛」
11年は 「鹿毛-栃栗毛」
と、結局1200m芝となってからの6年中、最初の1年を除いて一度も栗毛馬が連対しなくなってしまいました。
しかし11年では栗毛の出走は1頭もありませんでしたし、その前の10年でも1頭(7着)しか出走はありませんでした
また、その07年、09年の3着馬は栗毛でしたし、11年の2着馬は若干違いますけど「栃栗毛」でしたので、やはり続く12年の時は一応栗毛の馬には注意はしていましたし、実際、選んだ5頭のうち3頭、栗毛馬を入れていました。
結果、12年は、それに応えるように6年ぶりに栗毛馬同士での決着となりました。
それにもかかわらず、その1着馬2着馬の2頭は入れていないという失態をしてしまった次第です。
その12年以降の栗毛馬に着目した毛色の連対馬の組み合わせをまた順に挙げていきますと、
(栗毛馬の出走数 「毛色の組み合わせ」)
12年は 18頭中6頭 「栗毛-栗毛」
13年は 17頭中3頭 「鹿毛-黒鹿毛」
14年は 18頭中4頭 「鹿毛-栗毛」
15年は 15頭中5頭 「黒鹿毛-鹿毛」
16年は 18頭中5頭 「栗毛-芦毛」
17年は 16頭中5頭 「栗毛-栗毛」
18年は 18頭中4頭 「鹿毛-栗毛」
19年は 18頭中7頭 「鹿毛-黒鹿毛」
と、12年以降8年中5年で少なくとも1頭連に栗毛が絡んでいました。
結局、1200m芝の京阪杯になってからの14年間では、栗毛馬は06年、12年、14年、16年、17年、18年の6年で連対、3着では06年、07年、09年、16年、19年の5年に入っていて、結局、3着以内では、14年中9年で少なくとも1頭、栗毛馬が入っていたことになっています。
一概に栗毛馬強しとは言えない結果となってはいますけれど、一応は気に止めた方がいいかも知れません。
ちなみに、アンドロメダS、京阪杯(1200m芝)の京都開催での連対馬全体の40頭の毛色の内訳は、栗毛が15頭、鹿毛が13頭、黒鹿毛が5頭、青鹿毛が4頭、栃栗毛が2頭、芦毛が1頭となっていました。
3着馬全体の21頭の毛色は、鹿毛が9頭、栗毛と黒鹿毛が各5頭、青鹿毛が2頭となっていました。

また、1200m芝になった06年以降の14年間の連対馬の毛色を見ていただいてわかるとおり、06年、11年、12年、14年、16年、17年、18年を除く7年間で黒鹿毛(2頭)か青鹿毛(3頭)の濃い毛色の馬が絡んでいました。
その除いた7年のうち、06年、16年と17年以外の11年、12年、14年、18年の3着馬はいずれも黒鹿毛となっていました。
よって、14年中11年で少なくとも1頭、濃い毛色の馬が3着以内に入っていたことになります。
こう見ると、京阪杯になってからは、栗毛馬より黒鹿毛馬、青鹿毛馬の濃い色の馬の方が活躍しているように思えますね。
しかし16年、17年の2年間は、栗毛馬と違って逆に掲示板にも載っていませんでした。(06年は5着に黒鹿毛馬が入っていました)
基本的には、その14年中、鹿毛馬で上位3頭を占めた以外の13年は、栗毛馬(栃栗毛も含む)か濃い毛色のどちらかか、または両方(6年)、絡んでいたことになります。

今回の出走馬で栗毛馬は、エイシンスポッター、トウシンマカオの2頭、黒鹿毛馬は、ショウナンハクラク、シングザットソング、ディヴィナシオンの3頭、青鹿毛は、グレイトゲイナー、ルガルの2頭となっています。

次に連対馬の臨戦過程ですが、前走重賞が17頭、前走オープン特別だったのが16頭いました。
まず前走が重賞だったのは16頭の内訳は、G1のスプリンターズSが3頭(4着、2着、6着)、G1のマイルCSが1頭(15着)、G2のスワンSが10頭(15着、11着、7着、8着、6着、3着、4着、8着、2着、4着)、G3のキーンランドCが2頭(2着、4着)、地方の重賞(JBCスプリントG1 1200mダート)が1頭となっています。
続いて前走がオープン特別だった馬は16頭のうち、06年までの6頭はすべて「福島民友カップ」で、着順は、8、6、2、3、5、1(着)でそれぞれ勝ち馬との着差は1秒以内でした。
この福島民友カップは、12年、13年と10月から4月に移行しましたが、14年からはまた10月に戻って来ています。
その14年、前走で福島民友カップを走って唯一この京阪杯に出走してきたアンバルブライベンはこの京阪杯を制しています。
あとの前走オープン特別を走った残り8頭は、そのうち5頭が「京洛S(オープン特別」で、08年の勝ち馬のウエスタンダンサー、09年の2着馬レディルージュ、10年の2着馬ケイアイアストン、11年の勝ち馬ロードカナロア、12年の勝ち馬ハクサンムーンとなっています。
ロードカナロアは、その前走の京洛Sでは1着、ウエスタンダンサーとレディルージュは2着、ケイアイアストンは3着、ハクサンムーンは15着(1番人気)でした。
その京洛Sですが、07年まで準オープンで行なわれていましたが、08年からはオープン特別として行なわれるようになりました。
08年ではこの京洛Sから7頭が出走し、そのうちそのレース2着だったウエスタンダンサーが1着、1着だったスプリングソングが3着、3着だったウエスタンビーナスが4着と掲示板に載りました。
また09年では6頭が出走し2着だったレディルージュが2着、7着だったシンボリグランが4着、5着だったラインブラッドが5着と同じく3頭が掲示板に載りました。
一転して京洛Sが京阪杯にとってステップレースになったようです。
しかし10年では5頭出走しましたが、前述したようにケイアイアストン(京洛S3着からこの京阪杯で2着)1頭のみが掲示板に載りました。
11年では8頭が出走しましたが、同じく前述したようにロードカナロア(京洛S1着からこの京阪杯で1着)とナイアード(8着から4着)、ミキノバンジョー(5着から5着)の3頭が掲示板に入っています。
12年では、前走京洛Sだった馬は6頭出走し、前述した通り1番人気15着のハクサンムーンが1着だった以外は掲示板をはずしています。
13年は5頭出走し、ブレイズエターナル(2着から4着)1頭のみが掲示板に入っています。
14年は5頭出走し、サカジロイヤル(3着から3着)1頭のみが掲示板に入りました。
15年は5頭出走し、アースソニック(2着から3着)1頭のみが掲示板に入っています。
しかしながら、残念なことに、参考レースとして重要だったこの京洛ステークスは、16年から休止となってしまいました。
あと前走オープン特別だった残り4頭は、11年2着のグランプリエンゼルと13年2着のアイラブリリ、15年2着のビッグアーサー、18年2着のナインテイルズで、それぞれの前走は、新潟での信越Sで3番人気4着、京都でのオパールSで3番人気5着、同じくオパールS1番人気1着、新潟でのルミエールオータム1番人気8着となっていました。
次に前走が1600万下の条件戦特別だったのは7頭いました。
そのうち、前走1400mダート10着だった1頭を除き、あとの6頭は前走1200m芝で連対していました。

次に、3着馬の臨戦過程ですが、前走重賞だったのは9頭いました。
内訳は、スワンSが4頭(10着、6着、12着、7着)、セントウルSが4頭(2着が2頭、4着、11着が各1頭)、スプリンターズSが1頭(12着)
前走オープン特別も9頭で、すべて1200m芝でした。
内訳は、福島民友カップ2頭(1着と6着)、中山の秋風S(3着)、京都の京洛S3頭(1着、2着、3着)とオパールS3頭(3着、6着、3着)となっています。
あと前走条件特別は2頭で、京都1400m芝の1600万下特別(16着)、小倉1200m芝の1000万下特別(1着)、京都1200m芝の1600万下特別(1着)となっていました。



年齢は、連対馬では、3歳が11頭、4歳が14頭、5歳が12頭、6歳が2頭、7歳が1頭でした。
3着馬では、5歳が7頭、4歳が5頭、3歳が4頭、6歳が4頭、7歳が1頭となっています。


性別は、連対馬では、牡27頭に対し牝13頭となっていました。
そのうち前半の4年では牝馬が連対馬8頭中5頭と牝馬が活躍し、逆に後半16年では牡馬が29頭中21頭と牡馬が活躍していました。
3着馬では、21頭中10頭が牝馬となっています。


馬体重ですが、480kg以上の大型馬が連対馬40頭中20頭となっていました。
3着馬では21頭中13頭となっていました。

特に06年以降の京阪杯では、
06年は「518kg-478kg-480kg」
07年は「514kg-522kg-508kg」
08年は「500kg-474kg-508kg」
09年は「532kg-444kg-492kg」
10年は「502kg-472kg-480kg」
11年は「498kg-456kg-544kg」
12年は「462kg-478kg-466kg」
13年は「484kg-452kg-460kg」
14年は「458kg-480kg-520kg」
15年は「452kg-522kg-496kg」
16年は「478kg-498kg-(460kg、498kg)」
17年は「478kg-458kg-488kg」
18年は「470kg-476kg-474kg」
19年は「508kg-434kg-500kg」

と、11年までの6年、3着以内に500kg以上の大型馬が1頭入った年が4年、2頭ないし3頭が入った年が各1年と、毎年少なくとも1頭入っていました。
しかしながら、12年、13年は逆に1頭も絡みませんでした。(ちなみに前走500kg以上だった出走馬は、12年は3頭、13年は4頭でした。)
しかし、翌14年は3着に、15年は2着に入っていました。(前走500kg以上だった出走馬は14年は3頭、15年は2頭でした。)
続く16年、17年、18年ですが、1頭も3着以内には入りませんでした。(16年、17年とも3頭の出走)
しかしながら、19年は、1着と3着に500kg以上の馬が入っています。


以上ですが、京都競馬場に戻っての施行となりますので、上記の過去のデータを基に、いろいろ考察しながら検討、予想していきたいと思います。

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