第14回 みやこステークスのデータ [競馬データ]
2010年に新設された重賞で、JBC競走開催で休止となった18年を除いて今回で13回目になります。
12月の第1週に行われていた「ジャパンカップダート」、そしてそれに代わって行われている「チャンピオンカップ」の前哨戦の位置づけとなるレースです。
第1回(10年)では、1番人気で制したトランセンドは、見事ジャパンカップダートでも優勝を果たしました。
しかしながら結局その年は、みやこステークスを経てジャパンカップダートに出走したのはトランセンドを含めて16頭中4頭でしたが、そのトランセンド以外の3頭は掲示板圏外の成績で終わっています。
第2回(11年)では、1番人気で制したエスポワールシチーはジャパンカップダートでは3着でした。
そのジャパンカップダートを制したのはまたも2年連続でトランセンドでした。
しかしながら、トランセンドはこのみやこステークスを経ずに他の路線からジャパンカップダートに挑んでの連覇となっています。
結局この年、みやこステークスを経てジャパンカップダートに出走したのは、エスポワールシチーを含めて出走数(1頭取り消し)15頭中6頭。
そのうち、3着になったエスポワールシチー以外では、みやこステークスで4着だったワンダーアキュートがジャパンカップダートで2着となりました。
あとの4頭は掲示板圏外の成績となっています。
第3回(12年)は、出走数16頭中、ジャパンカップダートに挑んだのは6頭。
そのうち、みやこステークスで3番人気2着だったニホンピロアワーズがジャパンカップダートで優勝。
同じく5番人気3着だったホッコータルマエがジャパンカップダートでも3着となりました。
他の4頭ですが、そのうち2頭が4着(みやこSでは1着)、5着(同6着)となっていました。
年を追うごとに結びつきが強くなっている気がいたしましたが、
第4回(13年)では、出走数16頭中6頭がジャパンカップダートに挑みましたけれど、3着以内に初めて1頭も入ることができませんでした。
みやこステークスで2番人気1着だったブライトラインは、ジャパンカップダートでは7番人気4着でした。
また、1番人気3着だったローマンレジェンドは2番人気13着と大敗していました。
しかしながら、4番人気6着だったグレープブランデーは、ジャパンカップダートでは11番人気5着でしたが、翌年2月のフェブラリーステークスで優勝を果たしています。)
ということで、結びつきに関しては結局わからずじまいとなりました。
第5回(14年)は、それまで阪神で行われていたジャパンカップダートが中京に変わり、名称も「チャンピオンカップ」に変わって行なわれることになり、結びつきに関してはまた改めて白紙ということになりました。
その14年ですが、出走数16頭中4頭がそのチャンピオンカップに挑み、2番人気1着で快勝したインカンテンションは、チャンピオンカップでは10着、1番人気5着となったクリノスターオーは8着、3番人気7着となったニホンピロアワーズは13着という結果でした。
しかし、あと1頭のナムラビクターは4頭の中では人気がなかった4番人気でみやこSでは3着でしたが、チャンピオンSでも8番人気でがんばって2着に入りました。
第6回(15年)では、出走数11頭中4頭がチャンピオンカップに挑み、7番人気1着だったロワジャルダンが、8番人気4着が最高位で、他の3頭は二桁着順に沈んでしまいました。
第7回(16年)では、出走数16頭中5頭がチャンピオンカップに挑み、2番人気14着だったアスカノロマンが10番人気3着と最高位で、他の4頭は、5着、8着、9着、10着でした。
第8回(17年)では、出走数15頭中4頭がチャンピオンカップに挑み、2番人気1着だったテイエムジンソクが1番人気2着と連対しましたが、3番人気3着だったキングズガードが11番人気8着、他の2頭は12着、13着でした。
第9回(19年)では、出走数16頭中6頭がチャンピオンカップに挑み、1番人気15着と大敗したインティが巻き返して3番人気3着となったのが最高位。
あと3番人気3着だったキングズガードが13番人気5着、他の4頭は7着、9着、14着、16着でした。
第10回(20年)では、出走数10頭中2頭がチャンピオンカップに挑み、1番人気1着だったクリンチャーは5番人気11着、3番人気4着だったエアマルマスは8番人気10着と、厳しい結果となりました。
第11回(21年)では、出走馬16頭中5頭がチャンピオンカップに挑み、5番人気1着だったメイショウハリオは10番人気7着でしたが、10番人気の人気薄で3着に入ったアナザートゥルースがチャンピオンカップでも14番人気の人気薄で同じく3着に入りました。
他の3頭は、掲示板を外す結果となりました。
第12回(22年)では、出走馬16頭中3頭がチャンピオンカップに挑み、11番人気1着だったサンライズホープは11番人気6着でしたが、3番人気4着のハピがチャンピオンカップで6番人気の3着に入りました。
他の1頭は、掲示板を外す結果となりました。
第13回(23年)では、出走馬16頭中2頭がチャンピオンカップに挑み、1番人気1着だったセラフィックコールは2番人気10着、6番人気2着だったメイクアリープは11番人気7着と、両連対馬は掲示板を外す結果となりました。
結局、チャンピオンカップに変わってからの18年を除く9年間、15年、20年、23年を除く6年で1頭ずつ、3着以内に入っていたことになりました。(2着2頭、3着4頭)
一応、チャンピオンCでは、上記の傾向を参考程度にしていこうとは思っています。
では、いつものように過去のデータを載せていきます。
第1回の10年からJBC開催で行われなかった18年、阪神競馬場で行われた20年、21年、22年を除く、23年年までの10年、連対馬20頭、3着馬10頭からです。
まずは1番人気の馬ですが、
10年 1番人気キングスエンブレムは2着
11年 1番人気エスポワールシチーは1着
12年 1番人気ローマンレジェンドは1着
13年 1番人気ローマンレジェンドは3着
14年 1番人気クリノスターオーは5着
15年 1番人気ダノンリバティは6着
16年 1番人気グレンツェントは2着
17年 1番人気エピカリスは8着
19年 1番人気インティは15着
23年 1番人気セラフィックコールは1着
となっていました。
人気の組み合わせでは、15年と19年以外の8年では、3着以内に1番人気から4番人気の上位人気から2頭と5番人気から9番人気までの1頭との組み合わせとなっていました。
その外した15年は7番人気-6番人気-4番人気の組み合わせ、19年は7番人気-10番人気-6番人気となっていて、その2年は荒れています。
10年間の父の血統ですが、連対馬20頭では、サンデーサイレンス系とノーザンダンサー系とナスルーラ系が各5頭、ミスタープロスペクター系が4頭、ワイルドラッシュ(ノーザンダンサー系と同じニアーティック系)が1頭となっていました。
3着馬9頭では、サンデーサイレンス系が5頭、ミスタープロスペクター系とナスルーラ系が各2頭、ノーザンダンサー系が1頭となっていました。
毛色は、連対馬では、鹿毛が9頭、栗毛が6頭、青毛が2頭、黒鹿毛が1頭、芦毛が1頭、青鹿毛が1頭となっていました。
また、毎年少なくとも鹿毛馬が1頭、3着以内に入っていました。(3頭1年、2頭3年、1頭6年)
年齢は、連対馬では、4歳が9頭、3歳と5歳が各4頭、6歳が2頭、8歳が1頭となっていました。
3着馬では、5歳が5頭、7歳が2頭、3歳と4歳と6歳が各1頭となっていました
枠の出目は、連対馬では、2枠が5頭と最も多く、あと、1枠と3枠と4枠が各3頭、5枠と8枠が各2頭、6枠と7枠が各1頭となっていました。
3着馬では、7枠が3頭、3枠が2頭、1枠と2枠と4枠と5枠と6枠が各1頭となっています。
臨戦過程では、連対馬の前走は、地方(3頭)を含めた重賞が1番多く、9頭となっていました。
着順は、1着5頭、2着1頭、3着1頭、4着1頭、5着1頭となっています。
続いてオープン特別が8頭と重賞に迫っています。
着順は、1着2頭、2着1頭、4着1頭、5着1頭、6着1頭、7着1頭、8着1頭でした。
あと、準オープン(3勝クラス)が3頭(いずれも1着)となっていました。
3着馬の前走は、地方を含めた重賞が8頭で、着順は、1着1頭、2着2頭、3着2頭、4着2頭、6着1頭となっています。
あとオープン特別が2頭(1着、3着)となっていました。
以上ですが、ともかくも上記のデータを参考にして丁寧に検討していこうと思っています。